沖縄とタイ深南部の若手映像・映画作家の交流を目的としたオンライン映画祭「Deep South – Deep South Movie Matchmaking: Cerebration of Okinawa and Thai Deep South Filmmakers 沖縄・タイ深南部オンライン映画祭」のディレクターを務めました。

開催概要
日時:2020年9月7日(月)〜 13日(日)
会場:オンライン事業
主催:国際交流基金バンコク日本文化センター、ドキュメンタリー·クラブ、深南部若手映画制作者プロジェクト
協力: 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科 COVID-19時代における文化芸術プロジェクト
プログラムの詳細は、特設イベントページをご覧ください。
参加作家
終わらない過去 川田淳(72分/2016年)
完璧なドーナツをつくる キュンチョメ(95分/2018年)
やぎの冒険 仲村颯悟(84分/2010年)
人魚に会える日。 仲村颯悟(93分/2016年)
Boundaries 福地リコ(20分/2019年)
クリア 福地リコ(44分/2015年)
I’m Not Your F***ing Stereotype ヒーサン·チェママ(29分/2019年)
Neverland サマック·コセム、ナラシット·ケサプラシット、アヌワット·アピムックモンコン(13分/2017年)
The Journey of Isolation パンタウィット·テープジャン(25分/2018年)
So-Khin チャウェン·チャイヤワン(18分/2018年)
Ar-Por パイシット·ワンランシーサティット(21分/2017年)
The Life Young Yim Team(17分/2019年)
Youth TL Production Team(17分/2019年)
Learning With You Nayu Rama Team(20分/2019年)
Haleem and Fern Happy Sad Sunday Team(12分/2019年)
Melagu Beawalk Film Team(12分/2019年)
Ka-Pho Smart End Game Team(13分/2019年)
The Ghost’s View Dek Film Team(17分/2019年)
Dek Ponok Hi Sun Flower Team(16分/2019年)
End Game Wesion Team(12分/2019年)
When the Fish Sauce Was Illegal Tum-naung-set-laew-lung-yang-yoo-mai Team(14分/2019年)
キュレーター・ステートメント
「ディープサウス・ディープサウス・ムービー・マッチメイキング」は、沖縄とタイの深南部を捉えた映像作品に焦点を当てたオンライン映画祭であり、二つの地域の映像作家たちにとってこれからの交流のきっかけとなることを第一の目的としたプロジェクトである。また同時に、地理的なキーワードとしての「Deep South」を示すだけでなく、二双方の地域の作品を通じてそれぞれの文化の置かれた政治的状況や社会的位置付けを知り、お互いの共通点や違いを見出し、つの地域の新しい接点のコンセプトを考察する挑戦でもある。
私はタイ深南部に足を運んだことはない(近くまで訪れたことはある)。大学の仕事をきっかけに東南アジアを行き来しはじめたのは5年程前で、近頃ではようやく親近感を覚えるようになってきたところだ。ドキュメンタリークラブ(以降DC)と、「Against Apathy to Politics: Recent Japanese Activist-Artist Film」(2017年)という映像作品の上映をともに企画したことがある。それ以来、DCのメンバーとバンコク在住のキュレーター清恵子氏から、タイ深南部や深南部若手映画制作者プロジェクト(Deep South young film makers project)の話を聞くようになり、彼らの意欲的な取り組みの力強さに惹かれていた。まずはその作品を存分に目にする機会を持ちたいと考えたところから、このオンライン映画祭は実現に向けて動き出した。
「タイの深南部」とは、一般的にはマレーシアとの国境付近に位置するパッタニー県、ヤラー県、ナラティワート県を中心とする地域を指し、仏教徒が主流のタイにおいて多くのムスリムが集中する場所である。ここにはパタニ王国という独立国家の歴史がある。交易で栄えていたパタニ王国は、琉球をはじめ多くの外国との交流関係を独自に築いていた。後にタイ政府による直接統治に変わり、現在に至るまで独立をめぐった対立が続いている。だが、タイの深南部がもつ独特の歴史や現在進行形で起きている出来事については、日本ではほとんど知られていないように思う。少なくとも私自身は知らなかった。
しかし、日本と沖縄よりもずっと南──ディープサウスに生きる人々が抱える想いを想像すると、私は共鳴してしまう。そして、聞いてみたいことがある。自身のルーツである土地や文化をどのように考え、その特徴をどう捉えているのか。属することを強いてくる国のなかで、歴史とその土地に根付くさまざまな文化的特性は、どのように生みだされているのだろうか。また、国をはじめ自らと対峙する人々との違いをどのように受け入れ、または拒み、そしてその状況にどのような感情を抱いているのか。独立を求める時、そのなかでの葛藤と、その結果生まれてしまう暴力や混乱をどのように見て、捉え、そしてそこで生きていくのか。これらの問いは、私が生まれ育った沖縄で生きる人々や、沖縄を見る人々にも問いかけたいことであり、なにより私自身が答えを見つけなくてはならない。日本という国のなかで沖縄は最南端に位置し、地理的には「ディープサウス」である。さらにタイ深南部と沖縄は社会的位置における類似性を見出すこともできる。沖縄には琉球という独立国だった歴史があり、日本で唯一の地上戦を経験した結果として現在に至るまで米軍基地をめぐる国との対立が続いている。タイ深南部と沖縄が抱える具体的な状況はもちろん異なるが、そこを「深い南(Deep south)」として位置付けてくる国や人々との断絶や問題を含んだ関係性を、歴史に由来しながら抱えている点では共通する。
沖縄とタイ深南部。では、この二つの地域のための新しい接点をどのように作り上げていけるのだろう。訪れたことがないその遠い土地に、わたしはまだ、想像的な共鳴をしているに過ぎないのかもしれない。この共鳴をより一層明瞭なものにするためには、双方を多角的に捉えた作品を通じて考えることができるのではないだろうか。「ディープサウスディープサウスムービーマッチメイキング」はいわば、二つの地域の想像的な共鳴を、より確かなものにしていくためのきっかけなのである。
ごく簡単になってしまうが、「沖縄」を理解するためのプログラムについて私の視点から紹介したい。沖縄の映画・映像作品のプログラムは4組の作家によって構成されている。
【プログラム1】の川田淳による映像作品《終わらない過去》は、沖縄戦の遺留品をめぐって起きた出来事の実際の記録であり、過去の戦争の事実が現在にどのように引き継がれているのかを深く考察することができるドキュメンタリー作品だ。物語に登場する「遺骨や遺留品の収集」とその仕事を行う人物の存在は、沖縄ではよく知られている。沖縄戦、さらには第二次世界大戦の記憶の継承は、現在の日本において考え続けていかねばならないトピックなのだが、その継承をめぐる人々の想いの複雑さのなかで、聞き逃してしまいそうな声が無数に存在している。この物語は主として川田と彼が出会う人々の「声」のみで展開していく。川田自身が経験した予想のつかない結末の物語に、「耳を傾けながら」、向き合ってほしい。
【プログラム2】のキュンチョメによる《完璧なドーナツをつくる》は、現代美術アーティストとして多様な表現活動を行う男女二人のユニットによる映像作品である。作品は「穴の空いたアメリカのドーナツと、丸い沖縄のドーナツを、米軍基地のフェンス越しに合体させたら、穴のない完璧なドーナツができるのではないか?」という問いから始まる。この問いを投げかけられた沖縄に生きる人々は、それぞれが多種多様な答えを提示する。ここで「ドーナツ」が隠喩するのは沖縄とアメリカ(あるいは米軍基地問題)である。一聴(一見)するとユーモアあふれるこの問いは、どこか「ふざけた」質問に聞こえかねない。ご覧いただければわかるが私もその問いを問われた一人であり、この質問をはじめて聞いた時にはちょっとした怒りを覚えてしまった。沖縄に住んでいれば「沖縄とアメリカあるいは米軍基地問題」について絶えず問われ続ける。基地の存在に賛成か反対か、新基地建設に賛成か反対か。これらの問いに対して、ある人は闘い、根気よく答え、時には怒り、答えること自体に呆れることもある。これらに対する「答え」のあり方は、沖縄に生きる人々のなかでも、決して一つではない。それではあなたは、このユーモア(?)ある問いに対しどのように答えることができるのか。あるいはその答えをどのように他者へと届けることができるのか。そう考えながら見てほしい。
【プログラム3】の《やぎの冒険》と《人魚に会える日。》の監督である仲村颯悟は、沖縄生まれ沖縄育ちの青年である。彼が中学生13歳の時に監督した《やぎの冒険》は、あまりに若い映画監督による作品として沖縄県内外で話題をさらった。私も監督と同じ世代である。そして沖縄ではいわば「田舎」である離島で育ったのだが、《やぎの冒険》に登場する、やぎを食べるお祝いの集会、商店の前にある子供たちの佇まい、などの風景や人々の細やかな描写は、自分自身もどこかで目にしたものであると思ってしまうほど、丁寧に描かれている。また、《人魚に会える日。》は監督が大学生の時に自主制作した長編のフィクション映画である。実際には存在しない街を舞台に架空の出来事が描かれているにもかかわらず、そこでの基地問題に悩む若者たちの心情は、同じ時代を沖縄で過ごしたわたしも驚いてしまうほどリアルなのだ。物語に登場する若者たちは、彼らが抱える悩みや怒り、憤りを雄弁には語らない。沖縄の若者たちの少ない口数から編み出された言葉、説明的になり過ぎない言葉の、余白に込められた想いを想像しながら見てほしい。
【プログラム4】の《Clear》と《Boundaries》の監督である福地リコは、仲村や私と同じく沖縄で生まれ育った映画監督である。《Clear》は、沖縄に帰省した大学生と東京の大学院生という二人の青年の複雑なコミュニケーションを描いた作品だが、この物語が展開する街の描写に着目してほしい。その一つは沖縄の中部にあるコザという街だ。米軍基地に隣接するコザは、基地や米軍と共に歩みながら繁栄や衰退を遂げてきた街である。一方の《Boundaries》は彼女の作品のなかでも新しい短編映画である。セリフの描写が一切ないこの作品で描かれるのは架空の未来の沖縄だが、《Clear》と同じく現在のコザの街の風景が登場する。物語のなかで、この街は人がいない沖縄の架空の未来の退廃した過去の街として映し出されている。それはあたかも100年後の沖縄の未来に実在するような景色に見え、一般的に抱かれている沖縄のイメージとはかけ離れた街のリアリティがある。沖縄は小さな島だが、そのなかでも街やエリアによって米軍基地の影響と、その影響による変化は多様だ。
ある地域の文化的特性や社会的位置をより深く理解するためには、その地域が内包するさまざまな要素に目を向ける必要がある。それぞれのプログラムの作家が捉え、映し出した沖縄は、風景、人々、物語もそれぞれまったく異なる。それらは誰かにとっては正しく、共感する、一方で違和感を覚え、戸惑いを生み、怒りに身を震わせるものなのかもしれない。しかし、どれもがまぎれもなく沖縄を捉えた映像作品である。沖縄への理解を深め、想像力を引き出すために、海を越えたディープサウスに、心から届けたい作品たちだ。
世界的な新型コロナウィルス感染拡大を受け、国境を越えた移動をともなう交流の実現を目指すことには、苦悩を感じずにはいられない。もちろんこの状況下でのオンラインを通じた実践は不可能ではなく、あらゆる距離を越える可能性や新しい発見も見出すことができるだろう。だが、本来であればこのプロジェクトも、実際にタイに足を運び、深南部を肌身で理解したかった。あるいは同様に、この企画に参加してくれたタイのみなさんにも、沖縄に足を運んでもらい、実際の姿を目にし、肌身に感じてほしい。その来るべき日のために、このプロジェクトが互いの土地に対する想像力を総動員する機会になることを心から願っている。最後に、このプロジェクトの実現させてくれた国際交流基金バンコク文化センターとドキュメンタリークラブ及び深南部若手映画制作者プロジェクト、企画のきっかけとなった清恵子氏、登壇してくださる講師のお二人、そしてなにより参加してくれた作家のみなさん、協力してくれた多くの方々に感謝を述べたい。
居原田遥(本映画祭キュレーター)
